全優石OB会in稚内
全国優良石材店の会に加盟している会員店で、過去に支部長経験者の中から気の合った仲間が集まり、毎年全優石OB会と勝手に称し、持ちまわりで世話役が企画し、家族ぐるみで研修を兼ねた旅行を楽しんでいる。 9回目となる全優石OB会も、今年は私が2回目の世話役となり、前回の道央圏から今回は礼文・利尻島を中心に案内をさせてもらいました。稚内空港からレンタカーを借り、早速日本最北端の地へと向かうと、ニューインペリアルレッドの台座に乗った間宮林蔵の銅像に出迎えられた。
北緯45度31分22秒、日本最北端の地である。3度目の訪問となるが確か最初に訪れた35年ほど前は、コンクリートの研ぎ出しだった様な気がする。今は総御影石の立派なものになっていました。 日本最北端の地の右近くにある「宗谷岬」の歌碑である。島を巡るフェリーが着岸近くなると船内にこの曲を流し、乗船客に着岸が、間近であることを知らせる曲でもある。
流氷融けて 春風吹いて ハマナス咲いて 〜・・・
この歌碑も年月と共に相当傷みが激しくなり、裏から見た自然石と歌碑が彫られている黒御影石の接合部が、大きく離れステンレスアンカーが剥き出しとなり、倒壊の恐れがあるのが気になりました。両サイドの自然石が基礎部で繋がっていれば、このようなことは無いと思うのですが。 今回の旅行で一番見学したかった「祈りの塔」である。昭和58年に起きた大韓航空機撃墜事件の遭難者の慰霊と、世界の恒久平和を願って建てられた記念碑で、昭和60年に建立されたものです。知る限りでは北海道で最も大きなモニュメントではないかと思います。
祈りの塔正面に下がっているステンレス製の棒を引くと、美しい鐘の音色が響き渡り、当時の惨事を思い起こしながら思わず手を合わせる。 左手前に見えるのが、「子育て平和の鐘」である。
家庭の平和、地域の平和、世界の平和を願って、10円玉募金と、世界98ヶ国から寄せられたコインやメダルで造られた。
日本最北端の地から歩いてほど近い距離に、ここ宗谷岬平和公園 があり実に様々な記念碑や建造物が設置されている。これは宮沢賢治文学碑です。 宗谷岬の丘の上に立つ、男女のブロンズ像があけぼの像。北海道の牛乳生産量100万トン突破と飼育乳牛50万頭突破を記念して昭和46年に建てられた。
明治35年にロシアとの国境防備として作られた要塞である。歴史のある石造りの建造物として使用されている石材と、施工方法に興味を抱く。 これは「平和の碑」です。宗谷岬平和公園の名称にふさわしく、「世界平和の鐘」や「子育て平和の鐘」など、平和の名称がついているモニュメントが3つもありました。
宗谷海域海軍戦没者慰霊碑。宗谷防備に当たり殉職していった人々の鎮魂の碑。特に終戦直後に魚雷攻撃を受けた稚泊航路連絡船「宗谷丸」を守るため、身代わりとなって爆沈した望楼防備隊の「第12号海防艦」乗組員の霊を慰めるために旧望楼警備隊員から寄付されたお金で建てられた。 宗谷公園から稚内市内に帰る途中にさらに「間宮林蔵渡樺出港の地碑」があります。間宮林蔵が蝦夷地(北海道)から北蝦夷(カラフト、現サハリン)に渡ったのは文化5年(1808)のことですが、その記念の場所を示すものです。近くには間宮林蔵の顕彰碑もありました。
「間宮林蔵渡樺の地」の案内板です。 ここには、他にも記念碑が設置されていましたが、間宮林蔵とは無関係そうな宗教の記念碑でした。
この記念碑もその一つなのですが、何の記念碑だったか?。確か歌碑だったような気がするのですが。 今回宿泊した稚内全日空ホテルです。稚内では一番大きなホテルではないかと思います。また、フェリー乗り場や、夜の繁華街に出かけるには絶好の場所にあり、翌朝モニュメントを前景に撮りました。
5年の歳月をかけて昭和11年完成したのが、北防波堤ドームです。延長424m,高さ13,2m,半アーチ型の回廊で、ホテルからもフェリー乗り場からもすぐ近くにあります。 礼文島行きのフェリー乗船時間まで間があったので、ノシャップ岬を見学しました。
岬周辺には、天体観測や南極観測の資料を展示した青少年科学館、幻の魚イトウをはじめ北方系の魚たちが大回遊水槽で群遊するノシャップ寒流水族館など見どころがいっぱいです。早速あざらしが出迎えに来てくれました。 360度見渡せる大回遊水槽には北方の魚たちが泳ぎ回っています。水槽の中に微かに見えるクリオネです。愛らしい姿で泳ぎ回っていました。
可愛らしかったので写真に納めた「ふうせんうお」です。東シナ海北部以北の日本海、北海道周辺から北千島に分布し、体長は6cm程になりダンゴ゙ウオ科に属する。 稚内公園。別名「氷雪の丘公園」と呼ばれ、稚内のシンボルとなっています。様々なモニュメントが建ち並び、稚内の歩んできた道のりを垣間見る事が出来ます。晴れた日には宗谷海峡やサハリンの島影を見渡す事ができ素晴らしい眺望も魅力だそうです。
稚内公園のモニュメントの中で、代表的な存在なのが氷雪の門です。樺太で亡くなった人々の慰霊と、異国になってしまった樺太への望郷の念を込めて昭和38年(1963年)に建立されました。設計・制作は当社も最近係わり合いを持つようになった彫刻家、(故)本郷新氏によるものです。 終戦直後の昭和20年(1945年)8月20日、ソ連軍による樺太真岡侵攻の中、勤務する郵便局の交換台を最後まで守り、自らの命を絶った9人の若き女性交換手を慰霊する為に、昭和38年に建立された九人の乙女の碑です。
昭和43年に、稚内をご訪問された昭和天皇・皇后両陛下のご来市の行幸啓記念碑です。当時の市長から九人の乙女の悲話をお聞きになった時、そのご感銘を詠んだ御歌・御製が刻まれています。 公園頂上には南極で亡くなった犬達の慰霊碑、樺太犬供養塔が建っています。稚内犬ぞり大会は、今や名実ともに全国一の大会となっているようです。
昭和32年日本が初めて南極観測に参加するあたって、犬ぞり隊は稚内公園で訓練を受け派遣されましたが、翌年南極の悪天候のため15頭が置き去りにされ、1年後再び越冬隊が南極を訪れた時、タロ、ジロの2頭が奇跡的に生き延びていた。そのジロをモデルとした「南極観測樺太犬記念碑」です。 これは、石で製作された方位板です。この後、近くにある稚内霊園を見学後、礼文島に渡るべくフェリー乗り場へと向かいました。
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