石屋の神社探訪 (株)溝口石材工業
志文神社
(平成30年8月)
 
   
 明治23年(1890)12月、宮本銀松が元祖に入植したのが志文開拓の始まりである。翌24年には三浦伊次郎、続いて25年、辻村直四郎が農場を開き、入植者も増してきた。しかし彼らの開拓の苦労は言語に絶するものがあった。そこで彼らが家内安全と五穀豊穣を祈る、心のよりどころとしての神社の創立の気運が当然のように湧き上がり、同27年に冷水の坊主山に小さな祭祠が設けられたのが、志文神社の発祥となった。そして先に記した三浦伊次郎が馬場安太郎と相はかり、明治40年に現在の神社敷地を寄進し、ここに社殿を創建し、大正6年には坊主山神祠をここにうつした。
 昭和2年には境内に稲荷大明神が奉祀され、昭和5年ごろには、辻村農場に祀られていた稲荷祠堂もここに移され合祠された。
 昭和56年には、神社の財産一切を岩見沢神社に寄進し所有権を移し、境内社として法人化を完了した。
《志文本町史より》

 
 社標
 寄進人 西能與三郎(富山県出身)
 昭和17年7月建立
   
   
狛犬奉納(大正11年6月納之)
稲岡傳四郎・吉田弥三郎・塚田新吉・塚田吉次郎 賀集ヨシ・辻村直四郎・長谷川芳太郎・久保田友太郎
山口倉蔵・山口福之助・佐藤鐵之助 君嶋義八郎・杉本 弥太郎・溝口参
 久瀧常右衛門・湊長太郎・柴田由太郎  他氏子中・砂川村 石川勇 
 手水鉢
(大正6年7月10日建立)
寄進人 賀集ヨシ
 
 稲荷大明神
 
 
地神碑(昭和14年1月吉日) 地神碑正面は天照皇大神順に右回りで倉稲魂命
 建立者名 加藤伊佐治・吉田教作・吉田榮吉  少彦名命・埴安姫命・大己貴命と刻されている
谷内貢・白崎正雄・森田文藏・森一夫 石工 小長井石材店(清真布)及び溝口暢(志文) 
     
 鳩ヶ紅葉の碑    神社敷地寄附人碑
     三浦伊次郎
     馬場安太郎
     賀集ヨシ建之
御大典記念奉納一対(昭和3年11月10日)
 寄進人 賀集ヨシ  
 生国 兵庫県淡路国三原郡雑集村字生子村  
 基礎 杉本弥太郎  
   
子供相撲用土俵  演舞場 
   
 
 岩見沢市志文本町4条4丁目1−25
   
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